発達障害 支援学級に入学して 

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さて、怒涛の幼稚園時代を過ごし、地元の小学校に通い、そして今(中学一年生)は支援学校に通っています。ですが娘はずっと地元の学校の支援学級にいたわけではなく、途中から支援学校へ転入しています。その経緯について書いていこうと思います。

小学校は支援学級へ入学も、その後試練が・・・

1.地元の小学校を選んだ理由

2.入学して感じだ事。

1.地元の小学校を選んだ理由

幼稚園の頃、まだ娘に発達障害があるとはとても思えず、地元の幼稚園に周りに遅れながらも入園しました。ですが、集団行動での様子や、家での姿を見る中で、やはり周りとは違うかもと思うようになり、年少さん(3歳の頃)病院を受診し、診断を受けました。自閉症スペクトラムでした。小さい時は周りの子供達も小さいですし、多少周りに迷惑かけても許されるというか、パニックになってもまだ抱っこでその場を去れば何とかなりました。病院からやっておいたほうが良いと言われた事(見通しやスケジュール)をコツコツと進める中で、大きなパニックも小5くらいから減っていき、起こさなくなり、今はもちろん泣いたりぐずったりはあるものの、その辺りはだいぶ成長したなと感じています。

私が診断に踏み切ったのは『我が子の事を正しく理解してあげたい』の一点でした。 もちろん勇気はいりました。不安もありました。ですが正しく理解せず育てていくのは、一番辛いのは生きている子供であり本人だと思ったのです。

幼稚園の頃は他害もなかったですし、上のお兄ちゃんも地元の小学校へ行っていましたし、支援学校へ行く選択はありませんでした。幼稚園と小学校が併設していたのもあり、娘も見慣れて安心して通えるのではと思いました。ただ、安全面に関してはどうしても補助の先生がいなくては過ごせなかったので、担任とは別で支援員がつくことを確認しました。なんでも口に入れてしまうし、勝手にどこかへ行ってしまう・・・など心配だったからです。ですが・・・秋の時点で小学校へ確認したときは、支援員はつくと言われたのに、3月の終わりに入学式の下見へ娘と行ったら『お母さんごめんなさい。3月に入って人事が決まり、市の予算が削られてしまったので支援員はつきません』と言われて衝撃でした。ここから、娘と私の試練が始まりました。

2.入学して感じたこと

娘は支援学級の情緒の方へ入りました。                             1年生の頃の担任の先生は、初めて支援級を担当する男性の先生。優しいですが、初めてということもあり、やはり経験と知識が足りず、例えば娘が女子なのに先生との距離が近いとか、娘に教材をつくれず私が作って持っていくこともありました。自閉症は見通し命ですが、スケジュールを見える化することが大切ということも伝えお願いしました。時間割を目でわかるようにする(娘に合わせたものを作る)、色を変えたり興味のでるキャラクターを入れてみる、トイレの時間も示すなど先生も頑張ってくれました。

2年生の頃は担任が変わり、他の学校から来た先生。経験値はあり一生懸命ですが、子供第一というより親御さんを喜ばせたいの方が強く、娘はしんどくなり、この学校を去るきっかけになりました。   娘の我慢の限界を見て、もうこの学校では無理だと理解しました。この担任の先生でなければ娘はまだこの学校にいられたのに・・・と言ってきた人やママ友もいました。確かにそうかもしれません。でも私は逆にこの先生が一生懸命だったからこそ、ここでは無理だとわかり転入できたと感謝しています。   幼稚園から小学校低学年まではまだ小さくて、どれだけ大変な子どもなのか分かっていませんでした。 ここから療育手帳もB判定(中度)だったのが、重度になっていきます。こだわりも強くなります。ますます周りとの差も障害も顕著になっていきます。

読んでくださりありがとうございました。

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